鮑玉白珠比当ス神社 鮑玉白珠比当ス神社
祭神
 鮑玉白珠比当ス
 蔵王権現(相殿)
 
旧社格等
 式内 伊豆国田方郡
 鮑玉白珠比当ス神社 小
 
 旧村社
 
住所
 静岡県沼津市
 西浦木負342
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鮑玉白珠比当ス神社は延喜式記載の伊豆国田方郡鮑玉白珠比当ス神社に比定されている式内小社で、赤崎と呼ばれる岬の上、駿河湾越しに富士山を望むことが出来る景勝地に鎮座しています。
 
 
 鎮座地の木負には縄文時代や弥生時代の遺跡があり、また古墳時代後期の赤崎住居跡や木負峰古墳などもあって、この辺りはかなり古くから発達してきた土地であることがわかっています。
 
 ちなみに長井崎を挟んだ隣の内浦湾には式内社の長濱神社があり、同じく古い歴史が窺い知れます。まさに人気の一等地。気候の良い内浦湾一帯は、古代人にとってもよほど住みやすい所だったんだと思います。
 
鳥居
鳥居
石段
拝殿へと続く石段
 伊豆国神階帳に「従四位上宮玉明神」と記されているのは当社のこととで、江戸時代以来、赤碕神社または赤崎明神の名で呼ばれてきました。明治六年、村名と同じ木負神社に改称し同村鎮座の御嶽神社を合祀。下って明治三十五年、鮑玉白珠比当ス神社に名を復して現在に至っています。
 
 祭神は鮑玉白珠比当ス。記紀には見えない神名ですが、どのような性格の神なのでしょうか?
 
 まず神名の鮑玉白珠ですが、これは鮑玉も白珠も同じく真珠のことを指しています。真珠は人類が最初に手にした宝石とも言われ、採取した貝類からしばしば現われる輝く真珠は、当時の人の目によほど神秘的に映ったことでしょう。古代日本でも貴人に尊重され、万葉集などにも阿波寐之羅佗魔(アワビシラタマ)と唱われています。
 
 
 つまり鮑玉白珠比当スは真珠の神格化であり、鎮座地の木負沿岸の漁民が奉祀した神であると考えられます。事実、木負は真珠養殖に適した海況で戦後までは盛んに行われていたようです。なお、鮑玉白珠比当スを伊豆国名神大社の三嶋明神の妹神とする伝説もあるようです。この伝説がいつの時代にどういう経緯で生じたものかよくわかっていないようですが、なかなか興味深い話ですね。
 
 
 
 さて、鎮座地の木負(キショウ)は和名抄に記載がある「吉妾郷」のことだと考えられています。和名抄は平安時代の書物ですので、ここからも当地の歴史の古さが伺い知れるわけですが、この吉妾と鮑玉白珠比当スの関係について面白い説がありますので、「豆州式社考案」の記事を引用してみたいと思います。
 
 「又古老ノ説二、當所ノ産土神ハ比類ナキ美女ナルヲ以テ、ヨシツマト称シ、ヤガテ村名ヲモ古代ハヨシツマト呼リト。(中略)又古代ノ村名ヨシツマハ、吉妾ノ字ヲ用ヒシヲ、後ニ字音ニトナヘシヨリ、終ニ木負ト書クトナリシナラン」
 
 つまり木負の地名は、鮑玉白珠比当スの神名から起こったもので、遥か昔は美人の神の美称からとって「吉妾(ヨシツマ)郷」と言っていたのを、後にこれを音読みして「吉妾(キショウ)郷」となり、最終的に異字をあてて「木負」になったというものです。
 
 
本殿
本殿
 
 
 実際には、こうした地名起源の伝説は地名が先で伝説が後に付会されて作られることが多いので、神名と地名は別々に生じたのではないかと思うのですが、こうした伝承には浪漫があっていいですね。
 
 ちなみに平城宮出土の木簡に「棄妾郷」と見えるので、奈良時代には既に吉妾はキショウと呼ばれていたようです。もっと前はヨシツマと呼ばれていたのかどうか・・・もちろん分かりません( ̄▽ ̄;)  「式内社の研究」では、当社の境内に樹齢千年を越す巨木が存在していたことを引き合いに出し、次のように考察しています。
 
 「されば当村は木生(きおい)神社であったが、後に木負(きおい)神社と名称を換えたわけであろう。また木生をキショウと音読することもあったので、『和名抄』ではこの地方を吉妾郷としている。まことに面白い文字を宛てたものである。(中略)里人は真珠を祭り、鮑玉神社といったのを、都から来た教養ある国司が、式社とし、鮑玉白珠比当ス神社と改名したものと思われる。かくて、この白珠姫が色白の美人との評判が高かったので、木生村のキショウと結びつけて、この地方を「吉妾」郷と称したのであろう。されば三島明神の妹神との伝説が生まれたのも、また当然であった。」
 
 
 
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 訪れたのは9月某日。隣の長濱神社に続いての参拝です。赤崎と呼ばれる岬に差し掛かり、注意深く車を走らせていると・・・丘の上へと続く小道の先に鳥居が見え、慌てて左折。
 
 しかしこの道の狭いこと!急な登りのうえに、左右直ぐ民家の塀が迫っているので車体を擦らないかヒヤヒヤものでした。勿論すれ違いなど不可能で、対向車が来ないことを祈るばかりです。
 
 こうなると心配なのが駐車場ですが、神社の境内を一度通り過ぎた所に車一台分くらい道幅が広がっているところがあるので、そこに駐車しました。このスペースも急な斜面の途中。おもいっきりサイドブレーキを引いてから参拝です。
鎮座地へと続く鳥居
境内へと続く狭路
境内社
境内社
 境内鳥居の先には拝殿へと続く石段が延びています。社殿は午後の日差しを背負ってかなり眩しい。鳥居の脇は空き地になっていますが、式内社調査報告書の記述によると、ここに社務所があったようです。
 
 境内社は3社。一つは金毘羅社のようですが、奥に2つ並んだ小社は詳細不明です。どちらの小社にも1対の狐が置かれているので、稲荷社でしょうか?
 
狛犬(左)
狛犬(左)
 
狛犬(右)
狛犬(右)
 
 
 
 拝殿の前には昭和初期の狛犬が一対。よくよく見ると、「三津 石留 刻」と刻印は長濱神社のものと同じ。彫られた時代は数十年の隔たりがありますが、同じ石工の手によるものでしょうか。左右の狛犬とも玉に足を掛けているところや、尻尾が左右に分かれている点など共通点もあります。この尻尾のデザインはなんだかアシカの尻尾みたいで面白いですね。
 
   昭和拾六年四月吉日
 
    金指小次郎
    米壽記念健之
 
    山本秀寶謹書
 
    三津
    石留 刻
   
狛犬(後ろ姿)
狛犬(後ろ姿)
 
狛犬(左)
狛犬2(左)
 
狛犬(右)
狛犬2(右)
 
 
 
 拝殿の前には更に一対の狛犬があります。銘がないので作られた年代などはわかりませんが、こういった横長で寸胴なデザインは初期の狛犬に見られる特徴で、結構古いものではないでしょうか。
 
 初期のものは狛犬のイメージが一般化されていなかったためか、かなり?なデザインのものが多いのですが、こいつも変な顔。間違いなくココ以外では見かけない顔でしょう。
   
狛犬(後ろ姿)
狛犬2(後ろ姿)
 
 
 参拝を終えて駿河湾の方に目をやると、蜜柑畑の向こうに端正な富士の姿。なんとも穏やかな景色で、しばらく見とれてしまいました。
 
 
 >地図 【yahoo! Mapへ移動】
 

 >神社一覧に戻る
 
 
鮑玉白珠比当ス神社 訪問 2009/9
          登録 2009/11/24