祭神 |
伊豆山神 (火牟須比命、 伊邪那伎命、伊邪那美命) |
旧社格等 |
式内 伊豆国田方郡 火牟須比命神社 小 旧国幣小社 |
住所 |
静岡県熱海市 伊豆山上野地1 |
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神社 御由緒 (神社境内掲示より抜粋) |
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当社は古来伊豆大権現、走湯大権現、又は伊豆御宮、走湯山とも呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社名に改称されました。
又、伊豆の地名の発祥地は当社であります。 社伝によると当社は最初、日金山(万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。 源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、幕府最高の崇敬社として 関八州総鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三カ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記され、その所領範囲の広大であったことが当社の最隆昌期における状況を示しております。 鎌倉、室町の時代を経て徳川家康は江戸に幕府を開くに先立ち二百石を寄進し、次いで慶長になって百石と、併せて三百石の朱印料を寄進して崇敬の誠を示しており、歴代の将軍もこれに習い、当社を崇敬いたしておりました。 又、天皇家にあっては、第十六代仁徳天皇が勅願所となされてより、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に、後奈良天皇は御宸筆の般若心経一巻(国指定重要文化財)を御奉納になられ国土安穏と万民の和楽を御祈願なされております。 大正三年一月十三日、皇太子であられた 昭和天皇御参拝の折親しく、若松一株をお手植え賜り、現在緑の葉も繁く栄えております。また、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下の御参拝をいただいております。 なお、当社は明治以前においては神仏習合が盛んに行われた社で、役小角をはじめ 弘法大師、多くの山岳仏教徒や修験者が入峰して修行を積んだ霊場で後白河法皇の御撰による梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走り湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」と著され、東国 東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。 |
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熱海市は言わずと知れた日本を代表する温泉都市です。中でも伊豆山の「走り湯」は日本三代古泉の一つであり、海岸の洞窟から湧き出た湯が川の如く走り流れる様からその名がつけられました。
伊豆山神社はその豊かな湧湯への信仰を基にし、伊豆修験の中心をなす一大霊場として繁栄してきました。現在は、伊豆山の高台に温泉街を見守るようにして鎮座しています。旧国幣小社。 |
![]() 鳥居と石段
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![]() 銅葺きの鳥居
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社伝によると当社の創祀は孝昭天皇の御世で、当初は万葉集に伊豆高嶺と歌われた日金峰山頂に鎮座。次いで牟須夫峰に遷り、更に現在地に遷座しています。
祭神については昔から諸説あったようですが、昭和3年内務省の通達によって全ての神格を統一し「伊豆山神」一座となりました。現在も主神「火牟須比命」と相殿神「伊邪那伎命、伊邪那美命」を「伊豆山神」と総称して祀っています。 |
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当社は主神にちなんで温泉の神・防火の神として信仰されていますが、この地にはもともと豊かな湧湯に対する信仰があり、その温泉の霊験を神と祀ったのが当社の起源と考えられています。
なお、当社は式内小社「火牟須比命神社」に比定されていますが、これが現在の伊豆山神社そのものであるか、境内摂社「雷電社」のことであるかは議論があり定かではありません。 |
![]() 摂社 雷電社
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![]() 狛犬(左)
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![]() 狛犬(右)
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伊豆山神社はかつて「走湯権現」「伊豆山権現」等と呼ばれ、伊豆修験の中心をなす一大霊場でした。後白河法皇の御撰である粱塵秘抄に「四方の霊験者は、伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記され、当時における第一の霊場として中央にも聞こえていたことが知られます。 |
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![]() 境内
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さて、伊豆山神社は源頼朝との関係が深い神社としても知られています。頼朝は伊豆・蛭ヶ小島に流罪となって以来、別当密権院の院主、阿闍梨覚淵に師事して当社を深く尊崇したといいます。
流人頼朝と娘政子の恋仲を知った北条時政は、平家全盛の時代に北条家の命取りともなる事態を恐れ、政子を山木判官兼隆に嫁がせようとしました。しかし政子は婚礼の宴席をそっと抜け出し、日金七里の山路を越えて伊豆へ逃れ、伊豆山にいた頼朝と劇的な再会を果たします。 |
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源平盛衰記の伝えるこのエピソードはあくまで伝説のようですが、頼朝と当社の深い関係を物語るものといえます。
頼朝と政子の密会の場所も当社であったと言われており、境内には二人が恋を語った「腰掛け石」が残されています。 |
![]() 伊豆山神社本殿
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やかて平家を打倒した頼朝は文治四年正月、伊豆山・箱根・三嶋の三社に参詣し、以来この三社への奉幣と参詣は「二所詣で」と称して幕府の恒例行事となりました。
参詣したのは6月のはじめ。急な坂道を車のエンジンを唸らせながら登った先に鳥居があります。伊豆山の街は本当に坂がキツイ。国道の混雑もここまでくると静かなものです。石段の先に新緑眩しい境内、木々の間から伊豆山の街並みが見下ろせます。境内奥には資料館があり、頼朝の一周忌に政子が自らの頭髪で刺繍した曼荼羅が展示してあります。小さな資料館ですがこれは必見。個人的にはなんだか執念のようなものを感じてちょっと怖い。 境内社として 摂社雷電社(祭神:火牟須比命荒魂、雷電童子) 摂社本宮社(祭神:伊豆山神) 末社白山社(祭神:伊豆大神奇魂、菊理媛命) 末社足立権現社(祭神:役小角) 末社結明神社(祭神:結名神)が鎮座。 飛地境内社として 摂社走湯神社(祭神:走湯大神)があります。 |
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![]() 結明神社
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![]() 足立権現社
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![]() 手水舎
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![]() 走湯
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伊豆山の海岸には有名な史跡・走湯温泉があります。元々の源泉は枯渇してしまったようですが、現在は観光用に揚湯されています。トンネルの内部は湯気が立ち込め、走り湯の名の通り木製の引湯管の中を凄い勢いで湯が流れていました。 |
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伊豆山神社 訪問 2005/6 登録 2008/1/10 |