茅ヶ崎市の神社巡り
芹沢の神社
 
 
 
【目次】
 
 1)
小出地区の概況  
 2)
芹沢の神社・小祠  
 3)
芹沢の寺堂  
 4)
その他(遺跡・石仏など)
 
 
 
 

 
【小出地区の概況】
 
 小出地区の概況については、「
小出地区の寺社(地区の概況) 」をご覧ください。
 
 
 
 
 

 
【芹沢の神社・小祠】
 
 江戸時代に編纂された『新編相摸国風土記稿』によれば、茅ヶ崎市芹沢の前身である芹沢村には少なくとも腰掛明神社(村の鎮守)、神明社、山王社の三社が祀られていたことがわかります。このうち、腰掛明神社は現在の腰掛神社のことで、江戸時代から変わらず芹沢の鎮守として、今でも地域の祭祀において中心的な役割を担っています。神明社についてですが、現在、中ノ谷のシタミヤに神明社があり、また、かつては柳谷にも伊勢宮があったようですので、『風土記稿』記載の神明社は、この両社のうちの何れかなのではないかと思います。山王社に関しては候補がいくつかあるのですが、現在、大谷のシタミヤに山王神社があり、また、大久保にはかつて山王山という場所があったようですので、ここにも山王社が祀られていたのかもしれません。『茅ヶ崎市史』によれば、中ノ谷にも数戸の家で祀っている山王様が存在するようです。『風土記稿』に記載のある山王社がどの社にあたるのか、ちょっと見当がつきませんが、規模からすると大谷の山王社が有力でしょうか。
 
 書籍等に記載がある神社のなかで、今回の訪問で巡りあえなかった神社もあります。以下の本文中で紹介している神社・小祠の他にも、芹沢には次のような神社が祀られている(いた)ようです。
 
 
 
  山王様・・・中ノ谷の四戸で祀っているようです。
        付近を探しましたが見つかりませんでした。
        (茅ヶ崎市『茅ヶ崎市史3 考古・民俗編』昭和55年)
 十二天社・・・大谷の冠木の三戸が祀っているようです。(茅ヶ崎市史3)
        それらしき小祠がありましたが確認取れませんでした。
 弟六天社・・・大谷のシモ講中が祀っているようです。(茅ヶ崎市史3)
  八幡様・・・久保山にあるそうです。
        個人の屋敷神とのことで参拝はしませんでした。
        (茅ヶ崎市史3)
        (茅ヶ崎郷土会『ふるさとの歴史散歩』昭和58年)
  伊勢宮・・・柳谷にあったそうです。
        (樋田豊宏『小出誌』平成11年)
        (郷土史研究グループ「あしかび」編『茅ヶ崎の伝説』昭和56年)
  山王山・・・大久保にあったそうです。(小出誌)
  鎮野社・・・大谷にある(あった?)そうです。詳細不明です。(小出誌)
 
 
 
 

 腰掛神社(SZ-1)
 
 
 『新編相摸国風土記稿』に「腰掛明神社 村の鎮守なり」とあるのは当社のことで、江戸時代から変わらず芹沢の鎮守として祀られてきました。現在も芹沢北部の里山の中に古式然とした姿で鎮座しています。日本武尊が東征の折に通りかかり暫くのあいだ休息せられた旧跡とも伝えられ、境内にはこのとき尊が腰を掛けたと伝えられる腰掛石も残されています。『新編相摸国風土記稿』には寛永十二年(1635年)八月十九日勧請と、江戸時代初期の創建であることを記していますが、神社に伝わる伝承からすると、社殿が整えられるずっと以前から何らかの信仰の対象になっていたのではないかという気がします。
 
 
 ※ 詳しくは個別記事
腰掛神社 をご覧ください。
 
 
腰掛神社の境内
腰掛神社の境内
 
 
 境内の入口には六臂の青面金剛が彫られた元文五年(1740年)の庚申塔があります。古くは修験寺の宝沢寺が別当職として奉斎していましたが、境内には茅葺屋根の宮鐘があったりと、今でも僅かながら神仏習合の面影を留めています。『茅ヶ崎市史3』によると、日照りの時には神社の釣鐘を持ち出して小出川に入れ、水をかけて雨を乞うという事も行われていたそうです。
 
 
腰掛神社の庚申塔
腰掛神社の庚申塔
 
 
 境内には巨木も多く、眩いばかりの緑に覆われています。こうした雰囲気の良い社叢は、都市部ではなかなか目にすることが出来なくなってきました。訪問は三度目ですが、いつ来ても心落ち着くお気に入りの神社の一つです。
 
 
腰掛神社の社叢
腰掛神社の社叢
 
 
 
 
 

 権現様(SZ-2)
 
 
 白山大権現を祀ったもので、芹沢の紺谷に鎮座しています。細谷・紺谷村のシタミヤであり、元々は祠の脇から分岐する細い路地を登った斜面の上にあったそうですが、数年前に社地を含む一帯を造成工事したのに伴って現在地に移転されました。祠の背後は池になっていますが、この池はどんなに日照りが続いても涸れるようなことはないそうです。谷戸の生活は、周囲を取り囲む丘陵から染み出す、このような湧き水によっても支えられていました。
 
 
白山大権現
権現様
 
 
 
 
 

 神明社(SZ-3)
 
 
 中ノ谷のシタミヤで、集落の背後に広がる小高い丘陵上に鎮座しています。この小祠のことを指しているのかは不明ですが、『新編相摸国風土記稿』には「神明社 万治二年九月勧請の棟札あり」との記述があります。なお『小出誌』および『茅ヶ崎の伝説』によると、今は腰掛神社に合祀されていますが、かつては柳谷にも伊勢宮があったそうです。
 
 
中ノ谷の神明社
中ノ谷の神明社
 
 
 鎮座地の丘の上からは相摸大山の姿がよく見えます。現在では丘陵上にも広い車道が通っているため上から回り込んで参拝しましたが、本来は中ノ谷の集落から続く細い山道が神明社の正式な参道なのだそうです。実際のところ下から登ってこようとすると結構大変です。昔は谷戸の上には民家など無く、人々が里山として利用する他は、何もない寂しい所だったようですが、そのような場所にわざわざ神社やシタミヤが祀らているのには何か理由があるのでしょうか。見晴らしの良い小高い場所に神社が鎮座していることは決して珍しいことではありませんが、もしかすると、谷戸の生活を支える源として、あるいはある種の他界として、集落の背後に広がる丘陵上を今よりもずっと神聖な場所と考えていた時代があったのかもしれません。
 
 
丘陵上から大山遠望
丘陵上から大山遠望
 
 
 
 
 

 ハットリ神社(SZ-4)
 
 
 宇賀神を祀ったもので、大谷と中ノ谷の間に広がるなだらかな丘陵上に鎮座しています。『茅ヶ崎市史3』には「大谷の二戸が祀る神」とあり、茅ヶ崎市教育委員会発行の『文化資料館調査研究報告14 小出地区の石仏』には「宇賀神(はっとりさま)」と記載されています。二つ並んだ小祠のうち、左側が「はっとりさま」なのだそうです。
 
 
ハットリ神社(宇賀神)
ハットリ神社(宇賀神)
 
 
 祠の中を覗くと四体の蛇の像が祀られていました。宇賀神も突き詰めれば不思議な神様ではありますが、一般的には穀霊・稲霊と考えられていて、稲の豊作をもたらす水神としても受け止められ、このように蛇体で現されることの多い神です。しかし、ここ芹沢の宇賀神がなぜ「はっとりさま」と呼ばれているのかは良くわからないそうです。「はっとり」にどのような字をあてるのかも定かではありませんが、「はっとり」は機織りに由来する「服部」なのでしょうか。宇賀神と稲荷の祭神:宇迦之御魂神は同一視されることも多いのですが、この稲荷神は養蚕・機織りなどに精通していた秦氏が信仰していた神であり機織りの神としても知られています。また、古代において諸国の織部を統率していた服部連は秦氏同族とも言われているので、そういう意味では宇賀神と「はっとり」との間に全く関係が無いとは言えないのですが……ちょっと良くわかりません。水辺で機を織る巫女と水神の関係は民俗学者の折口信夫氏が言及して久しいですが、あるいはそのあたりと何かしらの繋がりがあるのかもしれません。
 
 
蛇の神像
宇賀神
 
 
 
 
 

 山王神社(SZ-5)
 
 
 大谷のシタミヤで、集落の背後に広がる小高い丘陵上に鎮座しています。この小祠のことを指しているのかは不明ですが、『新編相摸国風土記稿』には「山王社 寛文六年十一月の棟札あり」との記述があります。なお、『茅ヶ崎市史3』によると、中ノ谷にも周辺の数戸が祀る山王様が存在するようです。
 
 
山王神社
山王神社
 
 
 神社のある丘の上からは芹沢の長閑な田園風景が一望できます。若干逆光気味ではありますが、大山から延びる山裾の端には富士山も見えています。こうして見るとなだらかな丘陵地のように感じられますが、実際歩いてみると坂道が多く、登ったり降ったりで結構大変です。
 
 
山王神社から芹沢の丘陵地を望む
山王神社から芹沢春景
 
 
 
 
 

 不明の小祠(SZ-6)
 
 
 大谷の谷戸の入口付近に存在する不明の小祠です。道路沿いに鳥居があり、小さな境内に三つの小祠が鎮座しています。『茅ヶ崎市史3』に記載がある十二天社か弟六天社なのではないかと思っていますが、ちょっと自信がありません。それぞれについて『茅ヶ崎市史3』では「十二天社――大谷の冠木の三戸が祀る。弟六天社――大谷のシモ講中が祀っている」と記されています。
 
 
大谷の小祠 十二天社もしくは弟六天社だろうか
大谷の不明の小祠1
 
 
 
 
 

 不明の小祠(SZ-7)
 
 
 大谷の丘陵上に鎮座している不明の小祠です。詳細はわかりませんが、神使の狐がお供していることからすると稲荷社なのではないかと思います。祠の中には五輪塔の頭部と思われるものも一緒に置かれています。前掲の「はっとり様」の祠の脇にも置かれていましたが、五輪塔というのは頭部だけが残りやすいものなのでしょうか。それとも残った部位が別の信仰対象として祀られるようなことがあるのでしょうか。少し気になるところです。
 
 
稲荷と思われる
大谷の不明の小祠2
 
 
 
 
 

 不明の小祠(SZ-8)
 
 
 ハットリ神社から坂道を下ったところに鎮座している不明の小祠です。こちらも祠の中に狐が置かれているので稲荷社だと思います。
 
 
こちらも稲荷と思われる
大谷の不明の小祠3
 
 
 
 
 

 稲荷社(SZ-9)
 
 
 腰掛神社前の坂道を下ったところに鎮座している稲荷社です。付近の数軒で祀っているのだそうです。前掲の小祠(SZ-8)もそうでしたが、民家を取り囲む生垣の一部をコの字に切り取って、その内部に祠を置くというのが特徴的です。芹沢のシタミヤは丘陵上に祀られることが多いように思いますが、稲荷社はそれに比べるとずっと身近なところに祀られている印象です。このあたりは稲荷の性格が表れているのかもしれません。
 
 
腰掛神社の近くの稲荷社
稲荷社
 
 
 
 
 
 
 
 
  >茅ヶ崎市の神社一覧に戻る
 
  >旅の道標 BLOG 【ご指摘コメント等が御座いましたらお気軽にどうぞ】
 

 
 >トップページに戻る
 
            芹沢の寺社(茅ヶ崎市)