茅ヶ崎市の神社巡り
芹沢の神社
 
 
 
【目次】
 
 1)
小出地区の概況  
 2)
芹沢の神社・小祠  
 3)
芹沢の寺堂  
 4)
その他(遺跡・石仏など)
 
 
 
 

 
【芹沢の寺堂】
 
 江戸時代に編纂された『新編相摸国風土記稿』によれば、茅ヶ崎市芹沢の前身である芹沢村には宝沢寺、法円寺、来迎寺、蓮妙寺、善谷寺、普門寺、延命寺の七ヶ寺が存在していたことがわかります。このうち、宝沢寺は当山修験(吉岡村 瀧岡寺触下)の寺院で江戸時代には腰掛明神社の別当寺を務めていましたが、明治の神仏分離の際に廃寺となり今は存在していません。当時別当修験職だった石腰家は廃寺に伴って神職に復し、現在も代々腰掛神社の宮司を務めておられます。また、法円寺は長重山と号し、鎌倉比企谷の妙本寺を本寺とする日蓮宗の寺院だったようですが、明治二十三年に栃木県西方村に移転してこちらも芹沢には残っていません。残る来迎寺、蓮妙寺、善谷寺の三ヶ寺は大きなお寺として芹沢の地にあり、来迎寺の寮だった普門寺、延命寺は無住のお堂として残っています。
 
 
 
 

 来迎寺(SZ-A)
 
 
 芹沢山来迎寺。浄土宗の寺院です。『新編相摸国風土記稿』には「芹沢山と号す、浄土宗増上寺末、本尊阿弥陀」と記載されています。開山は永禄七年(1564年)に没した然誉禅芳と伝えられているので、中世後期の創建と思われます。然誉禅芳和尚は鎌倉にある光明寺の十九世で、他にも横浜金沢の天然寺や久里浜長安寺を開山、また、三崎の光念寺を中興と色々なお寺の創建に名を連ねている方です。
 
 
来迎寺の山門と石段
来迎寺
 
 
 日本の福の神の代表は何と言っても七福神です。江戸時代には各地の札所を巡る七福神巡りが大流行しましたが、現在でも根強い人気があって地域の人々から親しまれています。○○七福神と呼ばれる札所は全国各地にありますが、茅ヶ崎市の小出地区にあるのが相州小出七福神。平成十年に開かれた比較的新しい七福神札所です。ここ来迎寺は恵比寿様の札所となっていて、本堂にはスタンプ式の朱印も用意されています。
 
 
来迎寺の本堂
本堂
 
 
 
 
 

 蓮妙寺(SZ-B)
 
 
 弁財山蓮妙寺。日蓮宗の寺院です。『新編相摸国風土記稿』には「弁財山と号す、日蓮宗駿州富士北山本門寺末、本尊三宝四菩薩等」と記載されています。開山は静岡県富士宮市にある北山本門寺十世の日殿上人。寺伝によれば、もともと小田原にあった蓮成寺というお寺を元亀三年(1572年)に当地に移して名前を蓮妙寺に改めたものと伝えられています。江戸時代には芹沢を領した旗本戸田氏の庇護を受け、境内には最後の領主、戸田隆之助勝信の墓も残されています。
 
 
連妙寺本堂
連妙寺
 
 
 境内にある池のほとりには弁財天を祀った弁天堂が建っています。山号の弁財山というのはこの弁財天に由来すると考えられるので、おそらく蓮妙寺の創建以来ずっと一緒に祀られてきたものなのだと思います。現在の池が人工的なものなのか、あるいは昔からあったものなのかよくわかりませんが、もしかすると元々この付近には谷戸の水が染み出す池や泉があって、その傍らには水神を祀った小さな祠のようなものが存在していたのかもしれません。弁財天は日蓮宗の寺院に多く見られる神様なので何とも言えない部分はありますが、山号からするとお寺の創建と同時に弁財天が祀られたというより、元々弁財天(水神)が祀られていたところにお寺が移ってきたのではないかという気もします。
 
 
弁天堂
弁天堂
 
 
 本堂の隣には鬼子母神堂が建っています。こちらも日蓮宗の寺院ではお馴染みの神様です。『茅ヶ崎市史3』には「久組の全戸が祭祀集団を構成している。子育ての神といわれ、子供の体が弱いときなどに詣る」と記されています。また、同じく『茅ヶ崎市史3』によると、この鬼子母神堂の前には「オシャモジ様」の石塔も建っていたらしく、同書には「子供の百日咳が治った時には竹筒にお茶を入れてお礼に参った」と記載されています。いわゆる「社宮司神」ですが、お寺の方に伺ったところ現存はしていないとの事で少々残念でした。鬼子母神とオシャモジ様は観念上は別の神様ですが、実際の信仰内容には「子供の守り神」として共通する部分も多くみられます。このような神様が隣り合って祀られているというのは興味深いところで、お寺の境内社には、元々その土地で祀られていた神様を別の仏神として祀りなおしたものが少なからずあるような気がしています。なお、ここ蓮妙寺は相州小出七福神の弁財天の札所となっていて、スタンプ式の朱印も用意されています。
 
 
鬼子母神堂
鬼子母神堂
 
 
 
 
 

 善谷寺(SZ-C)
 
 
 恵日山善谷寺。曹洞宗の寺院です。『新編相摸国風土記稿』には「恵日山と号す、曹洞宗獺郷村東陽院末、本尊釈迦」と記載されています。開山は藤沢市獺郷東陽院の三世、茅ヶ崎市行谷宝蔵寺の二世を務めた心翁宗伝和尚。寺伝では天正六年(1578年)の創建と伝えられています。整えられた境内の隅には相州小出七福神の福禄寿のお堂があり、スタンプ式の朱印も用意されています。
 
 
善谷寺
善谷寺
 
 
 駐車場の脇には稲荷社が祀られています。かつて神仏習合の時代にはごく当たり前の事として神社には別当寺があり、お寺には鎮護の社が祀られていました。今でも神社に鰐口などお寺の名残が残っていることはしばしばありますが、逆にお寺にこうした小祠が建てられていることも珍しくありません。お寺の境内にどんな小祠が祀られているかという事も興味のひかれるところです。
 
 
境内の稲荷社
稲荷社
 
 
 
 
 

 下馬落観音堂(SZ-D)
 
 
 『新編相摸国風土記稿』に「普門寺 光照山と号す、来迎寺の寮なり」とあるのは当寺のことで、同書には元和三年(1617年)の建立であるとも記されています。また、『小出誌』および『ふるさとの歴史散歩』によると、元和三年というのは再建された年のことで、古い軒札には天文九年(1540年)に兵火で消失した旨が記されていることから、創建はそれ以前、ずっと古くまで遡れる可能性もあります。下馬落という名前は、昔、馬に乗ってこの前を通る武士がことごとく馬から落ちたという逸話に由来しています。同様の伝説は日本の各地に残されていますが、神仏の霊験あらたかな事を表そうとすると自然とこういう形になるのでしょうか? 『茅ヶ崎の伝説』には、観音堂の前の道が「鎌倉へ通ずる道だった」という言い伝えがあることを記していますが、こうした伝説は古い街道沿いに多く残されているような気もします。なお、下馬落観音堂は相摸の少しマイナーな霊場「高座郡内観音霊場三十三番札所」の第十四番札所でもあります。
 
 
下馬落観音堂
下馬落観音堂
 
 
 
 
 

 地蔵堂(SZ-E)
 
 
 『新編相摸国風土記稿』に「延命寺 地蔵堂とも呼べり、是も来迎寺の寮なり」とあるのは当寺のことで、同書には天和二年(1682年)の建立であるとも記されています。現在お堂は存在せず、本尊の地蔵菩薩は芹沢中部自治会館内に安置されています。なお、『小出誌』によると、地蔵堂もやはり少しマイナーな霊場「高座郡南部地蔵二十四札所」の第十八番目の札所となっていて、御詠歌も伝わっているそうです。
 
 
          ながらへと あれば実りにあふみぞと のぶる命を祈るこの寺
 
 
地蔵堂
地蔵堂(芹沢中部自治会館)
 
 
 
 
 
 
 
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            芹沢の寺社(茅ヶ崎市)