神奈川県の神社巡り
茅ヶ崎市の神社
 
 
【小出地区の概況】
 
 
 茅ヶ崎と聞けば、湘南海岸、海辺のイメージが強い所ですが、北部一帯には高座丘陵と呼ばれる小高い台地状の地形が広がっていて、都市化の進む茅ヶ崎では少なくなってしまった豊かな里山の風情を感じとることができます。台地に降った雨水は丘陵を削って谷戸と呼ばれる細長い浸食谷を形成し、人々は谷戸に集まる水を利用して古くから小さな集落を営んできました。その当時の様子が偲ばれる古代の遺跡としては、芹沢の臼久保で弥生時代の住居跡が、堤の十二天で二基の古墳などが確認されています。市内で確認されている高塚古墳は、他には茅ヶ崎駅構内にある石神古墳が知られているのみですので、堤の十二天古墳群は茅ヶ崎の古代の様子を知るための数少ない手掛かりの一つとして大変貴重なものと捉えられています。どのような人物がここに葬られているのかは定かではありませんが、この地に数代にわたり有力な豪族が出現するだけの豊かな生産力があったことは確かなようです。
 歴史時代に入ってからも詳しいことは良くわかっていませんが、平安時代に書かれた『和名類聚抄』に高座郡渭堤郷とあるのは、芹沢・堤などを含む小出川上流域のことだとする説もあります。渭堤は「イデ」と読み、域内を流れる小出川の「イデ」にも通じる名前という訳です。また、南部の下寺尾からは相模国初期のものと考えられる大寺院の跡が発掘され、また、高座郡の郡衙と推定される大規模な建物跡も発見されるなど、当時、この周辺は高座郡の庁舎が存在する中心的な場所として栄えていた様子が窺えます。小出地区の各集落の形成過程は必ずしも明確ではありませんが、現在知られるような村々が組織されたのはずっと時代が下った江戸時代のこと。天保十二年(1841年)に完成した『新編相摸国風土記稿』には、この地域の村落として堤村(戸数74)、下寺尾村(戸数53)、行谷村(戸数23)、芹沢村(戸数100)の名が記されています。
 明治二十二年の町村制施行により、堤村、下寺尾村、行谷村、芹沢村の四村と現在は藤沢市に属する遠藤村が合併。村名は域内を流れる小出川にちなんで小出村と名付けられました。この時、堤村からは「小出川とは関係がない」と反対の声が上がったそうですが、堤には川がつきものというユニーク裁定により小出村で決着したのだとか。その後、昭和三十年になって、小出村の堤、下寺尾、行谷、芹沢が茅ヶ崎市へ編入され現在に至っています。
 
 下図は大正十年に測図された小出地域の地形図です。地図記号の「水田」が記された範囲を緑色に塗ってみましたが、丘陵地に形成された谷戸の様子がよくわかるのではないでしょうか。図中の中央、二本松のあたりが最も標高が高く、そこから流れ下った水が丘陵を削って小出川に向かって開けた数多くの谷戸を形作っています。また、堤の中央には駒寄川の流れがあって、東西に長く広がった大きな谷戸を中心に水田地帯が広がっていました。
 
 この地区の神社ですが、『新編相摸国風土記稿』にはそれぞれの村の鎮守として、諏訪社(堤村)、諏訪社(下寺尾村)、金山権現社(行谷村)、腰掛明神社(芹沢村)の記載があります。このうち堤、下寺尾、行谷の三社は明治四十三年の神社整理で統合され、堤の諏訪神社があった場所には新しく建彦神社が建てられました。しかし、合祀後に行谷で流行病がはやり、これは金山神の祟りに違いないということで再び分祠。下寺尾でも神社跡にその記念碑が建てられ社地が保存されていたためか、地形図には各村の鎮守社の位置(「!」で示した所)に神社記号がそのまま残されています。
 ところで小出地区に限らず市内の各地区には、村全体で祀る鎮守格の神社の他にも、より小さな祭祀組織、村の組や数戸の家で祀っている小さな神社といったものも数多く存在していることが知られています。例えば芹沢では集落全体で祀る腰掛神社に対し、谷戸などを単位として祀る神をシタミヤと呼んでいるようです。そのうえ、各家ごとには個別の屋敷神があり、さらには地神講や道祖神講といった様々な講集団まであった訳ですから、八百万の神とはよく言ったもので、日本の民間信仰というのは実に多彩で重層的だったことがわかります。地形図で各神社の鎮座している場所を見てみると、谷戸の中央には水田が広がっていて、人々は谷戸の周縁部に屋敷を構え、更にその背後、丘陵の上やその中腹に神社が祀られていることが確認できます。これはシタミヤについても同様で、多くの場合、谷戸を見下ろす集落の後背地が神様の定位置となっていたようです。
 
 
小出地区の地形図(大正十年測図)
1/25000 地形図 「藤澤」 大正十年測図
 
 
 以下は現在の小出地区の様子です。古くからの集落に加えて、丘陵上や水田を埋め立てた場所にも新しい住宅地が形成されている様子が見て取れます。特に民家が増えたのが二本松付近で、小出村が出来たときに村役場がつくられ、村の中心として徐々に発展していったようですが、元々は民家の一軒もない、人も滅多に通らないような寂しいところだったそうです。大正時代に比べれば人口はずっと増加しましが、それでも発展著しい市街地と比べれば、茅ヶ崎にもこんな場所があったのかと感心するほど豊かな自然が残っているエリアでもあります。特に芹沢の柳谷周辺は茅ヶ崎市の里山公園として整備され、天気の良い週末には大勢の家族連れで賑わう人気のスポットとなっています。
 
 
小出地区の地形図(大正十年測図)
現在の小出地区の地図(承認番号 平19総使、第512号)
 
 
【小出地区の寺社】
 
  (1) 小出地区の寺社(1)・・・芹沢村
  (2) 小出地区の寺社(2)・・・行谷村(作成中)
  (3) 小出地区の寺社(3)・・・下寺尾村(作成中)
  (4) 小出地区の寺社(4)・・・堤村(作成中)
 
 
 
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          小出地区の寺社(茅ヶ崎市)