都都古別神社 都都古別神社
祭神
 味耜高彦根命
 日本武尊(相殿)
 
旧社格等
 式内 陸奥国白河郡
 都都古和氣神社
 名神大
 
 陸奥国一の宮
 
 旧国幣中社
 
住所
 福島県東白川郡棚倉町
 棚倉字馬場39
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神社 御由緒 (神社境内掲示より抜粋)
 
延喜式に陸奥国白川郡名神大座都都古和氣神社とある御社で凡そ千八百五十余年前景行天皇の御世日本武尊東奥鎮撫の折関東奥羽の味耜高彦根命を地主神として都々古山現西白川郡三森村の岩山に鉾を建て御親祭せられたのが創始である。
平城天皇大同二年坂上田村麿伊野庄現棚倉城跡奉遷社殿を奉造し日本武尊を相殿に配祇奉る。寛永元年丹羽五郎左衛長重幕命により棚倉築城に際し現馬場に景勝の替地を奉り社領を添加し社殿解体移築同二年遷宮し奉る。
明治六年三月七日国幣中社に列格神位神階奉授については仁明、清和、陽成、御冷泉皇等各御代に行われている。造営神領寄進等は坂上田村麿、源頼義、義家、足利義満、白河城主、豊臣秀吉等依事奉行を定め奉造され現本殿は文禄年秀吉の命により佐竹義宣の奉造である。
當社は平安中期より久慈川、社川、阿武隈川流域の絶大な信仰の対象であった。宝物は重要文化財長覆輪太刀、赤糸威鎧残欠、県指定御正体、鉾、古面、神像、什器、古文書等。
 
 鎮座地の棚倉町は福島県の南部に位置し、丹羽長重が徳川秀忠の命により棚倉城を築いて以来、棚倉藩六万石の城下町として栄えた土地です。
 
 この棚倉町には都都古和神社と称する神社が2社あり、いずれも延喜式記載の「都都古和氣神社 名神大」の論社とされています。
 
 このうち、当社は棚倉町の字馬場、国道118号と県道60号が交わる地に鎮座しています。旧国幣中社。
 
一の鳥居
一の鳥居
二の鳥居
二の鳥居
 駐車場がわからなかったので近くの路上に止めさせてもらい、団地脇の石段を登って参道をすすみます。木々が覆い被さる参道から、なんとなく狭い境内を予想していたのですが、神門をくぐると思わぬ広い空間が広がっていました。
 
 境内の奥、板垣で仕切られた内側に社殿が鎮座。板垣の内および社殿後方に境内社が配置されています。
 
 社伝によると、当社は日本武尊が東征の折、立鉾山の山頂に鉾を立てて都都古別神を祀ったのが始まりと伝えられています。
 
 現在、立鉾山の中腹には当社の奥宮が鎮座しており、最初の鎮座地といわれる東麓の三森には立鉾山と山頂の巨岩を対象としたと思われる祭祀遺跡も確認されており、その信仰の古さが伺えます。
 
神門
神門
 
 大同2年(807)坂上田村麻呂が奥州征討の際に現在の棚倉城がある伊野庄に当社を遷して日本武尊を配祀、さらに寛永元年(1624)丹羽長重が棚倉城築城に際して現社地へ社殿を解体移築し今日に至りました。
 
 
垣に囲まれた社殿
垣に囲まれた社殿
 
三の鳥居
三の鳥居
 
都都古別神社拝殿
都都古別神社拝殿
 もう一方の同町八槻にある都都古別神社も同じ祭神・創祀伝承をもっており、明治になってお互いに奥州一宮・式内名神大社であることを主張して激しい論争が起きたことがあります。
 
 結果、大論争のすえ、明治18年に両社並立という異例の措置によって両社とも国幣中社に列せらています。
 
 祭神は味耜高彦根命で日本武尊が相殿神として祀られています。
 
 境内社として寅卯神社、甲山天満宮、稲荷神社、厳島神社、鹿島神社、神明宮、熊野神社があり、社殿後方の一段高い所に東照宮、日枝神社、金刀比羅神社が鎮座。神明宮の傍らには竹垣に囲まれて磐座があります。
 
 訪れたのは3月中旬。苔むした地面には雪が残り東北の春はまだまだ遠くに感じました。広い境内には大樹も多く、緑濃い夏にはまた違った景色が見られることと思います。
 
 
都都古別神社本殿
都都古別神社本殿
 
寅卯神社
寅卯神社
甲山天満宮
甲山天満宮
稲荷神社
稲荷神社
厳島神社
厳島神社
鹿島神社
鹿島神社
神明宮
神明宮
熊野神社
熊野神社
東照宮
東照宮
日枝神社
日枝神社
磐座
磐座
 

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   都都古別神社 訪問 2005/3
          登録 2007/12/27