都都古別神社 都都古別神社
祭神
 味耜高彦根命
 日本武尊(相殿)
 
旧社格等
 式内 陸奥国白河郡
 都都古和氣神社
 名神大
 
 陸奥国一の宮
 
 旧国幣中社
 
住所
 福島県東白川郡棚倉町
 大字八槻字大宮224
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神社 御由緒 (神社境内掲示より抜粋)
 
延喜式内社で陸奥国白河郡の名神大社であり、奥州一の宮の旧国幣中社である。
日本武尊の御創建にかかわり、祭神は味耜高彦根尊で相殿に日本武尊が合祀されておる。
伝記によると「日本武尊東夷征討の時高篠山に陣を取り、八満山の夷と戦うこと数度、敵強制にして屈せず、天地神明に祈り給う時味耜高彦根命が現れ、尊を助け、この国を護らんと宣せられ給うよって力を得て一気に夷を討ち平らげた。」とある。
南郷北郷合わせて18郷に近津大明神を通じて農業を殖産した。
 
 久慈川上流域には味耜高彦根命を祭神とし「都都古別」「近津」と称する神社が多数分布しています。なかでも久慈川の流れに沿って鎮座する棚倉町馬場の都都古別神社、同町八槻の都都古別神社、大子町の近津神社は上流からそれぞれ上の宮、中の宮、下の宮とも呼ばれています。
 
 これらの神社の中で当社は棚倉町の大字八槻、国道118号と国道289号が交わる地に鎮座している旧国幣中社で、同町馬場の都都古別神社と共に式内名神大社「都都古和氣神社」の論社の一つとされています。
 
鳥居
鳥居
神門
神門
 
 社伝によると、当社は日本武尊が東征の際、立鉾山の山頂に鉾を立てて都都古別神を祀ったのが始まりといわれ、同山から矢を放ち、それが落ちた場所「箭津幾(八槻)」に当社を創建したものと伝えられています。
 
 これに関連した話として、陸奥国風土記逸文に、「日本武尊が槻弓と槻矢によってこの地の夷族・土蜘蛛を退治したとき、用いた8本の矢が全て芽をふいたので、この地を八槻郷と呼んだ」という伝承が記されています。
 
 
狛犬(左)
狛犬(左)
 
狛犬(右)
狛犬(右)
 
 
 なお「都都古別」「近津」と称する神社群には、籾を入れた藁包を供える風習がみられます。この藁包を「ツトコ」あるいは「ツツコ」といい、参詣者は収穫した籾を藁包に入れて当社に供え、かわりに他の人が供えたツトコを貰い受けて帰り、翌年にはツトコを2倍にしてお返ししたといいます。
 
 この信仰によって品種の交換が自然に行われたと考えられており、当社にツトコを供える農家は郡山周辺・会津各地・茨城県大子町など広範囲に及んで、明治期までは大変な賑わいだったといいます。なお、戦後は品種改良や機械化などによって農業環境が変化し、現在この風習は絶えているそうです。
 
 
夫婦杉
夫婦杉(縁結・長寿之神)
 
奥州一宮の扁額
奥州一宮の扁額
 
都都古別神社拝殿
都都古別神社拝殿
 現社殿は江戸時代初期の造営。手持ちの資料によると、「本殿腰組は見事な造りで他に類例を見ない」ものだそうです。黒と濃い朱色を基調とした社殿が印象的です。
 
 祭神は味耜高彦根命で日本武尊が相殿神として祀られています。
 
 境内社として皇朝工祖神社、熊野神社、金毘羅神社、北野神社があり、そこから灯篭が一直線に並んでいます。
 
 社地は国道の脇ながら深い杉林に囲まれ神域は厳かな雰囲気でした。
 
都都古別神社本殿
都都古別神社本殿
皇朝工祖神社と熊野神社
皇朝工祖神社と熊野神社
 
灯篭
一直線に灯篭が並ぶ
 
神池
神池
 

 >神社一覧に戻る
 
 
   都都古別神社 訪問 2005/3
          登録 2007/12/18