川内峠 川内峠
標高
267m
経路
長崎県平戸市街
 〜 長崎県平戸市川内町
 それにしても、日本の夏休み渋滞には想像を絶する凄まじさがあります。カーナビの画面には渋滞を示す赤いラインが延々と続き、ラジオから流れる渋滞情報の前にはもう笑うしかない。最初こそ、抜け道を駆使して抵抗を試みるのですが、どこまでも延びる渋滞の前には焼け石に水。早々に気力尽き、後はどうとでもなれとばかりに車の列に吸収され、目的地まで蟻の行進。ε=(-。-; ハァ… 自由な学生時代がなつかしい。
 
 この年の夏休みは九州を目指して神奈川の自宅を出発したものの、見事に帰省渋滞にはまり、12時間後にようやく京都という散々な有様で、長崎に到着した時には自宅を出てから26時間が経過していました。へろへろになりながら平戸に上陸し、最初に目指したのがこの川内峠なのですが、そこには渋滞の疲れも一気に吹き飛ぶ素晴らしい景色が待っていました。まさに、今回の旅の成功を約束するかのような峠との出会い、幸先の良いスタートが切れた印象深い峠なのです。
 
 九州本島から平戸島へは平戸大橋を渡ります。この橋のおかげで気軽に平戸へ行けるわけですが、橋でつながれたのはそれ程古い話ではく1977年のことです。私と同い年なのですね。元々は瀬戸大橋の実験橋として建設されたそうです。いかにも人工物らしい真赤な橋脚なのですが、周囲の濃い色に負けずよくマッチしていました。
 
平戸大橋
平戸大橋
 さて平戸に渡った私ですが、この日一日で全島を巡るつもりだったので平戸の市内観光はパスし、最初に訪れたのが川内峠です。一応観光地のようで、国道383号線には控えめな案内看板が立っています。
 
 この川内峠ですが、実はそれほど期待していた訳ではありません。生月島へ向かう途中、ツーリングマップルに展望の峠として記載されていたので立ち寄ってみたというのが実際のところ。峠までの道も、ごくありふれた緩い登り坂で、私には珍しく写真一枚とっていません。ところが峠の直前になって景色はがらっと変わります。阿蘇を髣髴とさせるような草原と小山、そこを駆け抜ける道路、これは全く予想外!一気にテンションがあがります。
 
川内峠駐車場
川内峠 駐車場
川内峠展望台
川内峠 展望台
 
 駐車場の前にはレストハウスがあります。無人だろうと思って中に入ると、お婆さんが一人で店番をしていました。
 
 聞くと、この川内峠は元々放牧地だったそうです。草原が広がっているのもそのためで、今では保全のために毎年野焼きが行われているそうです。
 
 
峠のレストハウス
 
 
 目の前の丘に向かって登山道が一筋のびています。そこからの景色が素晴らしいとの話を聞き、登ってみることにしました。
 
 盛夏の九州は本当に暑い。自動販売機でペットボトルのお茶を購入し、早速登り始めたのですが、あっという間に汗だくになります。しかし、途中で振り返ってみると・・・
 
 
 
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丘からの景色
 
 
 丘の上からは360°の大展望が広がっています。疲れも吹き飛ぶ雄大な景色で、言葉もありません。
 
 空の青、海の青、山の緑、湧き上がる入道雲、どれもが色濃く、今回の九州旅行で見たかったのは、こういう高コントラストの世界だっただけに、のっけから感動しきりなのでした。
 
 
川内峠からの展望 西〜北側
川内峠からの展望 西〜北側(画像クリックで拡大)
 
 さて、この川内峠には大渡長者の伝説とそれにまつわる「塩上げ石」が残っています。
 
 今から650年ほど昔、平戸に一人の貧しい商人が住んでおり、毎日川内峠を越えて川内へ塩を売って歩いていた。
 
 彼は峠に差し掛かると、必ず道端の石に一つまみの塩を供え、「願わくば、九十九島の数ほどの船を持つ身分に成し給え」と前方の霊峰安満岳に祈願した。

 
平戸大橋遠望
平戸大橋遠望
塩上げ石
塩上げ石
 その後、彼は商人として大成功を収め、殿様以上の富を誇り、大渡長者と称されるようになった。
 
 世継ぎのなかった長者は、平戸松浦16代領主の勝に娘と領地を献上して隠居した。現在、最教寺の裏にある二基の五輪塔は大渡長者夫妻の墓であると伝えられている。
 
 
 この話からすると、川内峠は平戸と川内を繋ぐ峠ということになります。野焼きの話や展望の良さから勝手に観光峠か新しい車道峠だと思っていたのですが、かなり歴史の有る峠だったみたいです。
 
 平戸と峠を挟んだ反対側にある川内は天然の良港として古くから知られており、南蛮貿易時代には平戸の副港として大いに栄えた港町です。川内峠は国際貿易港である平戸とそれに次ぐ要港である川内を結ぶ峠ということになりますので、相当重要な峠だったと思うのですが・・・・。
 
 
川内峠からの展望 東〜南側
川内峠からの展望 東〜南側(画像クリックで拡大)
 
 
 家に戻って地図を見返してみると、ちょっと不思議な感じがしました。現在の車道の峠道を辿ってみると、まず平戸方面から鞍掛山を過ぎたあたりで尾根に登り、そのまま尾根上の道を進んで、小丘の中腹を通り過ぎて川内方面へと尾根を降りています。これでは峠道というよりは尾根の縦走路といった風で、峠は鞍部を越えるものと考えていると違和感を感じてしまいます。もし旧道がこれとは違う道筋だったとすると、かつての峠道はどんな経路をたどっていたのでしょうか?
 
 
川内峠地形図
 
 
 一番わかりやすいのは、B集落−川内峠−A集落という峠として一般的な経路です。これだと何の違和感も無いのですが、川内峠が平戸と川内を繋いでいるとすると・・・平戸方面から尾根を進んできた道は川内峠でA集落方面に降り、そこから川内港へ向かっていたのかもしれません。
 
 しかしそうだとすると何故、現在国道383号線が通っているような海沿いの道を利用しなかったのでしょうか?平戸からなら、山道を登って川内峠を越えるよりも、海沿いの平坦な道を通ったほうがずっと楽だと思うのですが・・・。昔の海岸線は今とは違っていて道をつけるのに何か困難があったのでしょうか。大渡長者の伝説にあるような安満岳の信仰とも関係があるのかもしれませんが、地元の図書館ででも調べてみなければ解らなさそうです。景色に見とれて気づきませんでしたが、何にしろ峠の成立に理由がありそうな気がします。
 
 

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      川内峠 訪問 2006/8
          登録 2007/12/16